自分以外の頑張っている姿を見つけるのは、わりと簡単な事ではあります。自分で自分の頑張ったを見つけ、それを投稿するのはなかなかのハードル高めな事ですが、ここでは頑張っている自分をみつけて、勇気を出して投稿していただいた作文を紹介しています。ご投稿いただいた皆様ありがとうございます。皆様の頑張ったがきっと誰かの力になると思います。

オンラインでも頑張った。
大学生TK
入学の時期にコロナウイルスが流行って、1年間ずっとオンラインで授業を受けていたので、友達も全然できないし大学生らしいことは何もできなくて気持ちが不安定になるほど辛かった。でも、自分自身に向き合う時間を得ることができた。
長女だけど、頑張った
大学生FH
長女だからずっとプレッシャーを感じてきたけど期待に応えて自分のためにも頑張って希望した進路を進めている。はず!
選ばれなかったけど、頑張った
大学生KE
ダンス部の時に、選抜メンバーのみが出られる曲があり、多くの人が選抜メンバーに選ばれる中、自分は選ばれませんでしたが、すべての練習に参加し、自主練を頑張りました。
大学生AH
大学生TK
中高生のときに、IBSのような症状がでて、思春期であり人の目を気にする時期であったことや集団活動(人が近くにいること、席替え)、電車通学、誰かに相談できていなかったこともつらかったが、完全に理解を得ることは難しかったものの家族にも相談でき、当時の日々を振り返ると、なんでもできるような気がする。
落ちたけど頑張った
大学生MH
高校生の時、部活でオーディションがありました。合格したら、5つのチームのどれかに入れるのですが、私はどこのチームにも合格しませんでした。悔しくて、部活をやめようと思ったことがありました。その時、同じくどのチームにも落ちた同期が「一緒に頑張って、次のオーディションで合格しよう」と言ってくれたことで、一緒に練習をして次のオーディションで合格することができました。
部活動頑張った
大学生MN
部活動で一人だけトレーニングメニューを厳しくされた。でも応援と自尊心で乗り切った。
冷たい目線を浴びたけど、頑張った
大学生TK
私はいわゆる「優等生」で、小さいころから「すごい」「しっかりしてる」と周りから「なんでもできる子」だと思われてきました。その期待に応えられるうちは胸を張っていられるけど、大きくなってくると先生や周りの大人からの期待が大きすぎると感じて辛くなったり、友人の目線が色眼鏡になって影で妬まれたり、たくさん複雑な気持ちをもって生きてきました。私は医学部進学が夢でしたが受験に失敗したり、浪人しても結果がふるわず、一年間くらい”無”の状態が続きました。親や親せき、同年代の友人から冷たい目線もたくさん浴びてきましたが、今となっては医療現場における”看護”のなせる業に魅了されています。やっと自分を肯定できるようになった気がして、自分を褒めてやりたいです。
注射、苦手だけど、頑張った
大学生KR
小さいころ注射が苦手でした。泣き叫んだり、暴れたり、今思うとすごく大変な子だったなと思いますが、当時の自分は注射からのがれることに必死でした。でも、1年生になったとき、泣かずにうてたことがあって、お医者さんがとても褒めてくれてシールをくれました。それがはげみになって、その後の注射は泣かずに頑張れるようになりました。
冷たい子と思われたけど、頑張った
大学生NM
小学2年生のときに、クラスで飼っていたモルモットが亡くなり、周りの友達は泣いていたが私は何の感情もうまれず、冷たい子という印象を持たれた。しかしこうして現在看護医療学部で看護を学び、「生きる」こと、「死ぬ」ことに向き合えている。
人格や存在を完全否定される言葉をかけられたけど、頑張った
大学生TS
私は大学で部活動に所属しています。特別有名な選手ではありませんが、だれよりも真摯に競技に取り組んできたと思っています。去年、一緒に大会に出場するパートナーとコミュニケーションの祖語があり、それがきっかけで、私の人格や存在を完全否定する言葉をかけられました。それで怖くなり心が折れて部活に行けなくなりました。
でも、その時味方になって支えてくれた仲間がたくさんいます。おかげで復帰して練習も頑張っています。昇段して三段にもなりました。これからも頑張ります。
体型をいじられたけど、頑張った
大学生TK
小・中学生のときに周りの子と体型が違いすぎて(細すぎて)、悪気なくいじられて傷ついていたが、高校生になってスタイルが良いねと言い換えてくれた子がいて、頑張れた。
複雑な家庭環境で送りつづける患者生活だけれど
のんちゃん さん
家族を言葉や行動で傷つけてしまうという症状がでやすいきょうだいなどがいて、身体に病気をもつ私は、家族の言動にもっとも傷つきながら患者生活を送っています。
家の外ではほとんど症状のでないきょうだいを含めた家族と、低年齢から患者生活を送る私とが一緒にいるのを見た時、医療者の方からさえ、「優しい家族に支えられて頑張ってきたんだね」と声をかけられ、つらかったけれど、自ら患者として相談支援をしてもらえるようお願いをして、ほんの少しだけ、うまくいっていない家族との患者生活についても伝える活動をしています。
うまくいっていない家庭の闘病生活も、家族で思い合う気持ちを深めながらの闘病生活も、同じようにメディアで取り上げてもらえたり、書籍化等ができたりすると助かる気がします。
「私はうまくいっていない家庭の子で、迷惑や負担をかけると申し訳ないから……」という気持ちなどから、思春期くらいから、看護師さんに甘えることも、小児患者を対象としたあたたかい非営利団体さんにお世話になることもできませんでした。
大人になった今も、手術室に入ると毎回、涙が止まらなくなるけれど、大学病院の公式Twitterで私が書いたものをシェアしてくださっているのを見た時、また歩んでいけそうな気がしました。
中学校の部活動
こた さん
私は中学校で女子バスケットボール部に所属していました。
初心者で入部したため、経験者の子との差がすごく大きかったことを覚えています。
中学3年生の時、集大成である総体を控えていたにも関わらず、総体1ヶ月前の練習試合で相手の選手とぶつかり壁に腰を打ち付けてしまいました。
その後、第五腰椎疲労骨折と診断を受け、3ヶ月コルセットを装着しての生活をすることになりました。
もちろんドクターストップを受け、練習にも参加できなくなりました。
悔しさも大きかったけど、何より私が辛かったことは周りからチームメイトとしてではなく、雑用係として扱われるようになったことでした。
毎日毎日、水筒の水汲みやモップ掛け、コートの準備と誰も手伝ってくれることなく一人で行いました。
「チームを支えたい」とは思っていたものの、どんどん部活に行くのが辛くなりました。時には我慢できず、家で泣いてしまうこともありましたが、お母さんに宥められながら最後までマネージャーとしてチームに貢献することができました。
総体後、元顧問で違う学校に行ってしまった先生から「お疲れ様、よく頑張った。あなたは頑張り屋さんやから色々溜め込んでたんかもしれへんけど、これからは治療に専念するようにしてね。」とお声がけしてくださりました。
嬉しさのあまり、会場で泣いてしまいましたが頑張って良かったと心から思いました。
このことから、試合には出ていないけど「あの頃は本当に頑張った」と自分自身を肯定できるようになりました。
今日も頑張った
ぐち さん
正直人間関係は毎日しんどい。しんどくない日なんてないくらい。
女子で奇数人数でいたら絶対残ってしまう、それが大体私。またか、寂しいなぁってなる。
でもたまに気づいてくれる子もいる。すごい優しい子やなぁって思う。
だから、私もそういう時は絶対に気づこうと思ってるし、しんどい思いさせたくないと思う。
自分のこと真似してくる子だって居るし、馬鹿にしてくる子も、私のことを嫌いだという子、逆に好きでいてくれる子も、色んな人がいて私の生活は成り立ってると思って過ごしてる。
だから昨日の私は頑張った。今日も明日もこれからも頑張る。
生きてるだけで素晴らしいのに
おみおつけ さん
人は生きてるだけですごいことで、素晴らしいのに、「いい学校に行かなきゃ」「1番にならなきゃ」「高い評価をもらわなきゃ」と人と比べられて少しズレると叩かれたり、そんな中で見えない不安や困難を抱えながらみんな頑張っている。
私は虐待を経験しました。
もちろん虐待を受けていた当時も辛くて苦しくて痛かったですが、虐待から逃れられた今も後遺症や生きづらさを抱えています。
でも、人の笑顔を見るのが好きなので、毎日笑顔で明るくいるように頑張りました。
今は、経験を活かして虐待に苦しむ子どもたちを社会全体で守るために活動しています。
がんばったこと
はぴまるさん
中学でテニス部に入っており、同期が9人いたのがいっぱいやめてしまい、3人になりました。
そして、自分以外の2人がペアになり、自分が先輩や後輩とペアを組むことになり
つらいこと、悔しいことたくさんありましたが、がんばって乗り越えたことが自分の中で強みになりました!!
相談しにくいけど頑張った
里さん
小学生のころからの友達が、中学生になり「自殺をするから遺書を貰って欲しい」と言われました。
何度引き留めても意思は固く、何も言えない状況でした。
私はその子の意思を尊重し見送るべきか、その子の意思に反してでも、親に相談すべきか迷いました。
結果、自分の親に相談し、その子の親と話し合う事にしました。
その後、その子からの連絡は無く、どうなったかも分かりません。
私は大切な友達を1人失ったように感じてしまいました。
今もまだ、あの選択が本当に正しかったのかは分かりません。
この時期になるとよく夢に見てしまうほどには責任も感じています。
ただ、辛いことを表に出さないよう、日常生活を普通に過ごせるよう、ポジティブに頑張っていると思います。
今日も頑張った
すしまるさん
部活
どれだけ上の立場がしんどくて行きたくなくても、毎日遅刻せずに行ってしっかり仕切ってること!
歯の矯正
えくぼさん
つけ始めと外した後すぐご飯を食べる時、すごく痛いけど歯並びを良くするために頑張った!
マウスピースなのでつけてる間は水しか飲めなくてしんどいし、つけてる時は滑舌悪くなるし、いい事ないけど
歯並びが良くなる未来を想像して頑張る!頑張ってる!
成長したくて頑張った
Rさん
私は人見知りと緊張する度合いが人一倍ひどくて毎回新しいことにチャレンジする時や、初めての人に会う時には緊張し、なにも上手くできないことが多いです。
だからそんな自分も嫌だし、上手く行かなかった時に周りの人に指摘されることも嫌で、チャレンジすることや初めてのことが怖かったです。
ですが、発表では毎回声を大きく張り上げるを意識をし、それでも上手くいかなくても次まだやろうと自分に言い聞かせています。
またわたしはダンスをずっとやっているのですが、最近は新しいクラスにどんどん参加し、成長したくて自分なりにけっこう頑張っています。
矯正頑張った
みーーーさん
歯の矯正が痛くて辛かった。
でも、5年頑張った!
歯の矯正
茜さん
歯の矯正をしていて、ガムやペタペタするお菓子、カレーなど色のつくものが食べられません。
犬歯の隣の歯を抜かないといけなくて、それも辛かったです。
今週末は親知らずを抜くために口腔外科に行きます。
辛いししんどいことばかりですが歯並びがきれいになるのが目に見えてわかるので頑張ってます。
昔頑張ってた
ひびきさん
バスケを中学時代頑張ってました!
頑張ったこと
けい さん
体育の授業の最初のランニングはめっちゃ嫌いやし体力もないけど毎回頑張ってる!
まいにちがんばる
あああ さん
班や家のことなど、たくさんのことをまとめてしんどいことが山ほどありながら毎日頑張っている。
私えらい!
おばちゃんの挑戦!!
アヤソウ さん
私は50歳を前にしてパートを変えました。
それは初めてトライする、でも昔からとても興味のあった職種である保育です。
身体を使うのでいざ始めてみると膝の横が凄く痛くて寝れない程になりました。
普段使ってない筋肉なのでしょう、病院に行ったら筋肉痛と言われました。
それから今年の7月で早1年が経ちました。
続けていると私の顔を覚えてくれて
笑顔で膝に座りにきます。
とても可愛くて、癒されてます。
痛くてもめげずに頑張ってよかったと思ってます。
「頑張った」と思うようにしています。
匿名高校生o.m さん
適応障害と不安障害になりました。
学校に行くのがすごくしんどいのに、
卒業するために、大学に行くためには
学校へ行かないといけません。
みんなに「頑張れ」って言われて、
担任にも分かってもらえず、
すごく辛いことばかりですが、
保健室に行きつつも、毎日学校へ行っています。
「頑張ったね」と言われることは少ないですが、
自分では
「今日も保健室に行ってしまった。けど、授業は受けれた時間もあった。頑張った。」
と思うようにしています。
ある意味では病気になって良かった
匿名高校生i.m さん
中学1年生の後半に、小児リウマチを患って、ずっと続けてきた大好きなバレーボールができなくなりました。
でも、大好きなバレーボールから離れることはしたくなかったので、自分ができない中、
みんなやっているところを見るのはつらかったけど、マネージャーとしてがんばることができました。
今では、マネージャーの魅力に気づいて、がんばることができています。
病気にならなかったら、だずさわることもなかったと思うので、
ある意味では病気になって良かったと思います。
偉い!!
薬を決まった時間、毎朝7時夕方18時に薬を飲まなくてはいけない、
起きるのがしんどかったり、遊んでる時でも薬を忘れずに飲まなきゃいけない。
でも、
病気を治すために今日も決まった時間に薬をのんだ。
頑張ってみた!!
私は高校2年生です。
一年の時にうつ病,不安障害,不眠症と診断され,自分がhspであるということがわかりました。
うつ病と診断されてから大人数や大きな音が苦手になり学校に行きづらくなりました。
一年時に1ヶ月,最近2週間ほど学校を休みながら,不安な日々を過ごしましたが,
家族や友達の支えもあり、おかげで学校に行こうと思うことができました。
たくさん悩みましたが少しだけでいいから頑張ってみようと思い,勇気を出してみると、学校に行くことができました。
みんなが暖かく出迎えてくれて、やっぱり私の居場所はここだなと思うことができました。
いつも無償の暖かさで私に接してくれるクラスメイトのことが私はとても大好きです。
私の周りの人の存在が私の頑張れる理由です!!
やりたいと思う気持ち
絵を描くのが大嫌いだった。
2019年に友達の絵を見るまでは。
ココロの底から絵を描きたいと思った。
40の手習い。
コロナの今 ほぼ日で絵を描いたり、 羊毛フェルトでパンダを作ってる。
楽しい。ただ楽しい。
その先のことは後付けでいいと思ってる。
誰かの笑顔のため。 もちろんそれは大きいこと。
でも、それだけじゃ続かない気がする。 胸を貼れることじゃないけども、 頑張ってるとしたら、 自分を喜ばすこと。
それだけかも。
回り道、でも頑張った!
高校2年生で学校に行けなくなった息子 その心の闇は私には分かってあげることが出来ず、助けてあげることが出来ませんでした。
小学校の時に初めて連れて行った美容室でカッコイイ美容師のお兄さんに憧れ、それからはずっと美容師を目指していました。
その目標があったから、高校2年生を2年やってやっとの思いで卒業 美容学校でまた半年間、通うことが出来なくなり、休学。。。 でも頑張った!
美容師になりたい一心で卒業 国家試験も合格することが出来ました。
回り道ばかり、でも美容師になることが出来た。 回り道したことでその分たくさんの友達に恵まれたね。
今はお店に勤めて目標を持ち、一生懸命前に進んでいます。
これからも回り道はあるだろうけれど、自分で乗り越えてきたので大丈夫だと信じています。
痛いのこわいの大嫌い
私の息子は昔から泣き虫。
注射が怖くて泣く。 自転車で転んで泣く。 妹に叩かれて泣く。 ママに怒られて泣く。 探し物が見つからなくて泣く。
でもそんな息子が、突然の癌に襲われた。
いつも泣き虫だった息子が弱音も吐かず、大人でも辛い抗がん剤治療、大量化学療法、幹細胞移植を乗り越えて元気に退院した。
私にはできない。
でも息子の前向きな言葉、姿によって私も挫けることなく付き添うことが出来た。
息子は泣き虫で弱くてチャレンジすることを恐れる子だった。
でもがん治療を精一杯頑張って今は自宅で元気に過ごしている。
私は半年間、ほぼ24時間付き添った。
でも頑張ったのは息子。
辛い治療と向き合い、自分の命を守ってくれてありがとう。
そんな息子を誇りに思っています。
ホクロ摘出
はさん
皮膚がんの1種のホクロが足の裏に見つかって摘出した。
麻酔してたはずやったのに切られてる時激痛やった。
めっちゃ耐えた頑張った。
四年前の今日
父ちゃん さん
中学校に入学後1週間で抗NMDA受容体抗体脳炎を発症、約6ヶ月の治療を終え退院。
その後、胚細胞腫瘍を発症、1年間の治療も実らず旅立ちました。
小児病棟では最年長、本人もしんどい筈なのに小さいながらも病と闘っている子供達が頑張れるようにとお手紙を書いたり折り紙のプレゼントをしたりと他人にも気配り出来る優しい娘でした。
病には勝てませんでしたが貴女が残してくれた優しさや笑顔はみんなの心に刻まれています。
ちっち、愛してるよ!

子育て
頼れる人がいない。
挫けそうになったことも数えきれないほど。
でも、頑張った。
とにかく自分の心を強く保って頑張った。
まだまだまだまだ終わらないけれど、とりあえず今日まで、頑張った。
そう思うと、明日も頑張れそうな気がする!
もう付録なくても注射頑張れるよ
私の娘は3ヶ月にごとに外来で採血や画像の検査を受けています。
毎回検査が終わると、ご褒美に付録付きの子どもの雑誌を買うのが定番でした。
前回の検査後、小学1年生になった娘が 「今日は付録買わないの?」 と聞いてきたので、 「もう、1年生になったから付録なくても頑張れるんじゃない?」 というと、その時は 「ふ〜ん。」 と会話は終わりました。
自宅に帰ると、年下の息子が 「みおねーちゃん今日病院やったんじゃないん?」 と何気ない質問に、 「うん、そうやで。もう付録が無くても注射頑張れんねん!」 と誇らしげな返し。
きょうだい児の息子の優しさや、 がんを乗り越える娘に日々感謝感激です。
でも頑張ったポスト
私は3才のときに脳腫瘍が見つかり、8時間の手術を受けました(奇しくも手術の日、伝説のアナウンサー 逸見政孝さんが、がん告白会見をされました)
当時の記憶は殆どない為、小学生の時なども人との違い(走るとすぐ疲れる等)を意識しながら生きていました。
高学年のとき、体型などからイジメに遭っていました。
笑うだけでキモいと言われ、自分の存在を否定されている様な感じで、生きているのが辛かったです。
そんな学期末の参観日で、自分のその一年を振り返り、漢字一文字で示して発表しました。
私はなかなか思い浮かばなかったが、率直な思いを「生」で表すことにしました。保育園からの友達は、自分も無視したりして、ひどい事をしていたと深く詫びていました。
この発表は母の心にも響き、私が小児がんと闘っていた事、余命数ヵ月と宣告されていた事を、自らの思いも踏まえながら伝えてくれました。
中学校は、地元から少し離れた所に通わせて貰いました。心許せる素敵なクラスメイトも沢山いましたが、ある時から学力などを比較し、強い劣等感を抱くようになりました。 高校時代、少し検査入院をした折りに、自分の病名を書く事がありました。抗がん剤治療による合併症です。
正直、自分の病気をちゃんと理解していなかったので、パソコンで調べてみることに。
すると、検索結果の画面には“難病”の文字が。そのサイトを開くと、実に様々な症状が記されていました。
それを見て、自分はこんなに大変な病を抱えているのだと気づき、それまで自分で自分を傷つけて(心理的に)いたりしたが、もっと労っても良いんだと思えるようになりました。
きょうだいで頑張りました
先日、久しぶりに夜間救急に駆け込みました。
2年前、息子が脳腫瘍がわかり「治ったらすぐ帰るから」と言いながらも長期入院となり、退院後も頻繁に入院を繰り返しました。
娘はそのたび突然、留守番になってしまいました。
今回も「また…」と不安だったのでしょう。
その晩のうちに帰ると、ぎゅっと抱きついてきました。
そして暑い日でしたが、ぎゅうぎゅうにくっついて寝ました。
母として娘の気持ちを知りながらも、息子の体調を優先してしまうたび、娘に申し訳なく思っていました。
なのに娘は帰ってきた弟に言いました。
「お姉ちゃんも寂しかったけど、でも(たっくんも)頑張ったんやね」と。 息子は満面の笑みで「お姉ちゃん、待っとったんやろ」と、2人でじゃれあっていました。
2人とも頑張ってくれてありがとうと、改めて我が子を愛しく思いました。
娘は寂しかった、怖かった、でも頑張った。 息子は痛かった、苦しかった、でも頑張った。
母も辛かった、情けなかった、だから頑張る。
これからも家族で乗り越えたいと思います。
改めて子ども達の頑張りを見直す機会を、ありがとうございました。

就職活動 頑張った
でも頑張ったポスト
就労移行支援事業所に通所して、1年4か月、就職活動はじめて4か月。
先日、トライアル雇用で就職が決まった。 病気や障害で就職活動が辛く、泣くこともあったけど、でも頑張った。
このチャンスは無駄にはしたくない。
毎日を生きている
小児がんになったあの日から8年… 寛解になったから病院通いが終わる訳じゃない。。
3ヵ月に1度のMRI検査。 今は血液内科だけではなく晩期障害で代謝内科も受診している。
過酷な治療を頑張った! 成長ホルモン頑張った!
女性ホルモン頑張ってる! 女の子だから色々な壁がある。
これからも大人になってく為には大きな壁にぶち当たるだろうなと… だけど彼女は 夢があるから頑張れる‼︎
生きたいから頑張れる‼︎
笑顔でいたいから頑張れる‼︎
そんな娘を毎日見ていてスゴいなぁと思う 毎日です^ ^
今日も、頑張ってる。
「病気」には、いろいろある。 ちょっとした風邪みたいな、大人しくしていれば治るもの。
治療をいろいろ頑張って、その果てに治るもの。 そして、治らないもの。
うちの娘は、先天性の難病を持っている。 治る病気ではないけど、それは「不治の病」というニュアンスともちょっと違う。
「闘病がんばって」と言われるのも、ちょっと違う。
闘ってるわけではなく、でも不治だと諦めているわけでもなく、娘はこの病気と「共に生きている」のだと思う。
確かに、治療を頑張ったところで、治りはしない。 だからといって、頑張らなくてもいいというわけでもない。
時々入院したりもしてしまうけど、娘は今日も生きている。
病気はある。
でも、頑張って生きている。
それが全てなのだ。